宮崎家庭裁判所延岡支部 事件番号不詳 決定
少年 C(昭和一六・七・二五生)
主文
少年を宮崎保護観察所の保護観察に付する。
理由
少年はD(明治四四年一月一日生)、同E子の次男として○○高校二年に通学していたものであるが、右Dが終戦による復員以来特に昭和二七年頃から粗暴で協調性なく、異常性格の疑が極めて濃厚な人物でしかも吝しよくであつたため家族のものとともに同人を畏怖し憎悪していたのではあるが別に反抗することもなかつたところ、昭和三三年九月二三日午前八時頃(秋分の日)学友のFと××中学校に運動会を見に行き午後四時三〇分頃帰宅したのであるが、Dより、野球の道具を人に貸すのが悪い、とか、勉強もせずに遊んでばかりいるが、ちつとは勉強せんか、とか激しく叱責され、午後六時頃の夕飯時にまた、遊んでばかりおつて勉強は一つもせんじやないか、とやかましくいわれ、母E子がこれをとりなして一応治まつたものの、午後六時一〇分頃夕飯がすんだ後母と祖母G子とが立話をしているのを見てDがE子に対して、お前に何の関係があるか、と申し向けいきなり怒気もの凄く同人の胸部目がけて男物平下駄を投げつけたので家人一同戸外に逃げ出す有様であつたが、Dが更に戸外に出て来てE子の襟首をつかまえ同人の頭部を殴りつけたので、遂に少年は我慢できなくなり、くらすつどと申し向け、たまたま外出先より少年の兄Hが戻つて来て同人がDの後方より、少年がその前方より抱きついて組み合い、少年が二、三回手拳で殴打したのでDは自家炊事場より野菜庖丁を持ち出しこれを振り上げて少年及びHを追いかけたのでHが所携のバットでDの頭部を二、三回殴りつけ、今度はDが逃げ出したのを両名が追跡しまもなく同家裏側甘藷畑の中にうつ伏になつて転倒したDの上にHが馬乗りとなり、少年はDの両足を押えていたところDがこれをはねかえさんとして暴れ、Hが傍にいたDの長女I子当時二二年に帯を持つてこいと申し向け、Hが同女の持つて来た木綿製男物兵児帯をDの頸部に捲きつけたのであるが、ここに日頃のDの仕うちに憎悪していた少年は同人を殺害せんと決意しHと暗黙の裡に殺害の意思を相通じた上Hが右帯を力一杯しめつけその間少年は両手にて同人の両足を押えつけ即時同所において同人をして窒息死させてその目的をとげたものである。
判示所為は刑法第二百条第六十条に該当する尊属殺人罪であるが、親子の情誼から考えて見るに通常実子がその実親を殺害するに至る事情は実親に余程のことがなければならないのである、換言すれば一般論として親に余程の欠点がなければ実子がこれを殺害するものではないということがいえるのであるが、本件もまたこの一般論のあてはまる事件である。即ち本件の被害者Dは昭和七年頃少年の実母E子と結婚し三男一女を設けたが結婚当初より気分のよいときはばかによいのであるが一寸したことで腹を立てて同女をところかまわず人中で叩く蹴る等の暴行を加えていたが、満州事変、支那事変及び大東亜戦争に従事し、特に終戦による復員以来の短気兇暴性がひどくなり昭和二七年頃からこの傾向が著しくなつて親子、親族、他人とかまわずに叱責、殴打を加えるようになり、おまけに吝しよく漢で金のかかる人附合には家人を出席させない有様に親族すらもとうとうその門をくぐらなくなり家人も肩見の狭い思いをするようになつた。また同人の体重は約一九貫もありこれが荒れ出して手当り次第物を投げたり、殴つたりすると家人は外に逃避せざるを得なかつたものであり、昭和三二年五月頃からはDの実父母K、G子をして年寄りには喰わせんということで別に炊事をさせるに至つたような次第で最近ではとくにひどく一週間もその狂乱が続くような状態になつてしまつた様な兇暴性、非協調性、気分易変性を有する異常人格を有する人物であつたことは少年始め家人一同及び部落民が口を揃えて供述するところである。
果して精神病ないしは右のような異常人格であつたかは、当人の死亡した現在医学的見地から検するに由ないものではあるが、とにかくこの様な人格傾向があつたことは明らかな事実である。
ところで少年の性格を考えて見ると過去に非行歴のないことは勿論としてその通学勉学態度の勤勉なこと、温和、親切、協調に富む性格でありこのことより推して、前示非行事実に顕われた社会的危険性を考慮に加えることは言うまでもないことであるが、本件の主因は被害者に前記のような人格傾向の存したことと認定せざるを得ないのであつて、従つて少年保護の例外と見られる刑事処分に付すること即ち少年法第二十条を適用の上道義的責任を問うため本件少年の犯した尊属殺人事件を検察官に送致の上刑罰を科することは相当でない。
次にこの少年に対して保護処分を要するかどうかを考慮すると、この種の事件はその環境的原因が除去されれば累犯の危険性はまずないと考えられるとして保護処分を要しないという考え方もあるが、その非行に示された、とにかく殺人を犯すことができた、しかも何らのちゆうちよも感ぜず積極的に、という危険な性状が存することは争いのない事実であつてここに当裁判所としては保護処分に付しその性状の稀薄化を求めたいのである、情性にとぼしい人間であれば教養を高めてこの欠点を補うことを指導するというように。
しかし保護処分を要するとしても少年の性格を考え、且つDの死んだ現在少年の家庭が皮肉にも一番少年の安住の地たることになるのであるから在宅のまま保護処分に付するを相当とし、ここに少年法第二十四条第一項第一号を適用の上少年を宮崎保護観察所の保護観察に付することとして主文のとおり決定する。
(裁判官 早川律三郎)
別紙(宮崎保護観察所長に対する処遇意見書)
少年
右少年の処遇に関しては左記について御考慮を御願いします。
記
少年の担当保護司には○○○○を適当と考えます。
(昭和三三年一一月一一日 宮崎家庭裁判所延岡支部 裁判官 早川律三郎)